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2019年02月17日

競技に関して新しいルール

今日はパラグライダー競技を行っている人には興味深い話。
競技を知らない人には「???」な内容です。

先日2月2〜3日にスイスのローザンヌでFAI(世界航空連盟)CIVILの会議が行われていました。
CIVILってのは簡単に言うとパラグライダーやハンググライダーの世界ランキングをつけていたり、
世界記録やランキングが加味される世界基準の大会のルールや方針を決めたりしています。

世界ランキングというのはCIVILが決めている「カテゴリー」という枠に準拠する大会での
成績が反映されてpointが付き、そのポイントの3つの良いpointを合計したpointに応じて
ランキングが付きます。カテゴリーには「カテゴリー1」と「カテゴリー2」の大会があり、
カテゴリー1のポイントの方が大きく付きます。ちなみに「カテゴリー1」に該当する大会は
「世界選手権」、「ヨーロッパ選手権」、「アジア・オセアニア選手権」になります。
ですが、アジア選手権は2012年から行われていません・・・・
また、ワールドカップは「カテゴリー2」になります。
日本の大会では、「日本選手権」とカテゴリー申請をした競技大会になります。
※ちなみに昨年のアジア競技大会は独自ルールすぎてCIVILに認可されませんでした

ここ最近、アジア諸国がパラグライダーの活性化していて世界に出てくるアジア選手もポチポチと出てきています。

さてそんな中行われたこの会議、いくつかルール改正されたのですが・・・・・
その中のいくつか

10)ポルトガルからの提案
ルール上カテ2大会申請が30日前になってることで、当日の天候が悪く大会が成立しな
いことがある。それを避けようとして天候がはっきりしてから大会を開催すると、カテ2申
請をできないことになるが、このような大会もWPRSポイント計上できるようにしたい
という提案は、S7共通 12.2.3項(予備日)の文言「一つの予備日...」となって
いるところを「いくつかの予備日...」と変更することの提案に改めて提出され承認された。

まじか!!日本から行くパイロットがヨーロッパの大会に出る時、予備日も含めていかないと
いけないのですが、こうなると、予備日がいくつと決まっていない状態。もし予備日が7日
とかにされると、2週間の期間を大会のために取っていかないといけないことに・・・・。
しかも予備日を使わなかった場合、その日程は丸々大会は行われない・・・・。

11)ブラジルからの提案
記録を狙うあまりに、暗くなるまで飛ぶ危険性を避けるために、S7D 1.5.4項(達
成されなかったフライト)に、記録飛行は当該国のルールに従うか、日没までに終了するこ
となる文言を追加する。は承認された。

当該国のルールと来ました。世界記録が狙える国ブラジルとしてはこのルールはなかなか凄い・・・・・。
こんなことを思いたくはないけれど、「フライト中に公用語で定期的に連絡を取ること」とか
「地元空港近くを通るときには公用語にて許可を取ること」とか言われたら、ポルトガル語を覚えないと
いけない・・・・・

14)ブラジルからの提案
気象条件などが厳しい中、レースでタスクをスタートし、選手が1人でも飛んだ後に、エラ
プスに変更して何とかタスクを成立させられるような提案は、カテ2大会のみに可能なこ
ととし文言を修正し、大会開催のガイドラインに盛り込むことで承認された。

これは???というルール変更。悪条件を予測して先に出たパイロットは空中でルール変更を受けた場合、
余分に空中待機する(しかも悪条件の中よくなる可能性を待つ??)ことになり、もし気象条件が後半
一気によくなった場合、先に出たパイロットは馬鹿を見るルールなような気がしてならない

1)S7GAP 10項(PGでのリーディングポイントに関して)
2017年の総会で決定し、実際に使われたLPをそれまでのものの2倍とすることは、2
018年のヨーロッパ選手権で期待していない悪影響(ガーグルから誰も先に出たがらな
かったり、ESSを先頭に切った選手が実際のタスクランキングでトップ20にも入らな
かったりした)が出たので、これをもとに戻すこととする。

このLPというのはなかなか曲者。これがあるために集計が終わるまでは誰が勝ったのかわからない。
でもこれがあるおかげでレーススピードは上がってきていた。でも弊害として集団についていくこと
だけを狙うパイロットも増えてきていた。確かにそのポイントを2倍にするのは元の意味がなくなっていたし、
いいと思う。

4)スイスからの提案
PGにおけるジュニアクラスに関して、とりあえずWPRSランキングにジュニアクラス
(25歳以下)を設け、選手権者に関しては今後判断することで承認された。

日本ピンチ!!!!!!!
25歳以下の方!!今パラグライダーを始めれば世界クラスになれるチャンス!!

6)パラグライディング・ワールドカップ・アジアツアーに関しての説明がなされた。
このスポーツが発展してきているアジアにおいて、アジアパイロットがもっと容易にカテ
2大会にアクセス出来、レベルを上げ、WPRSランキングでも上位に入れるようにPWC
A、CIVL、FAIが協力してサポートをしていく。4月には中国の Jingmen 市におい
て、このコンセプトに賛同する国の代表に対するセミナーを行い、大会をいろいろな国で開
催支援をしてゆく。今年は7月に中国(内蒙古)、10月に韓国(Gochang)で開催するこ
とが決定している。

これは・・・・・・
今でも遠征費等々に苦しい我々からするとあまり嬉しくはないかも。
大会の数を増やしても選手の数が増えることにはならない。
逆に大会が多すぎて選手が分散してしまうのでは??
現状のワールドカップとどんなふうに協調性を持たせていくのだろう??
ランキングもどうなっていくのだ????

3)S7A 8.5.4項(PGでのバラストに関して)
これまでは、パイロットの空身の体重を測定し、それに対して33kgのバラストを積むこ
とが許されていた。また、但し書きで飛行重量95kgまでバラストを積むことが許されて
いた。しかしこのコントロールは大変難しく、不正が行われていたことと、PWCでバラス
トの制限を取り払って、上手くいっていることから、バラストに関する規制をなくし、ただ
単にグライダーの許可されている飛行重量に収まっているかどうかだけをチェックするこ
ととする。

これが最大のルール変更
結局大きな事故を迎えた10年ほど前の世界大会前のルールに戻るってことになった。
バラストルールの撤廃。
これは正直影響が大きい。これは今まで問題だった「大翼至上主義」に戻るだけだと思う。
選手たちは体格云々ではなくバラストを積んで大きな翼に乗ることになる。
翼は単純に大きなもののほうが性能がいい。最近は技術と設計でその差は小さくなっていたのに、
このルールだと無理して小さな翼を作っても意味がないから、メーカーは小さな機体は試験をパスする
為のグライダーを作り、基準の性能スペックはLサイズを基準に作る・・・・なんてことも起きていく。
そもそもこのルールって落ちた時にバラストがあると選手に対するダメージが大きすぎるから危険
ということでできたのでは???

今回のルール改正は大きな転回点になるんではないだろうか??

posted by Yoshiki at 16:45| Comment(0) | 競技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月11日

入院生活

今日から入院です。
事故から3年たって最後の手術です。
あれから多くの人に支えられたなと
今思い返していました。

今回は機能を取り戻すというよりも元に
戻すという顔の修復手術。

実は昨年やる予定だったのですが、
アジア大会ではドーピングの問題で
延期にり、その後はオーストラリアチャレンジで延期になり、もう延期はできませんと医者に怒られての手術です。

いいことではないですが、勝手知ったる
入院生活。看護師さん達からはお久しぶりですとかいわれ、病室ではぱっぱと快適に過ごせる準備をしてあしたの手術に備えたところです。

今年最初の山場。
退院後はまた南木曽に通いつめることになり、春は熊本にもお世話になります。

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退院したら本格的にトレーニングも再開です。
posted by Yoshiki at 19:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月30日

新作!

ここ数日は木曽から離れ、東京にてウロウロとしています。
といってもなんだか約束が詰め込まれてあっちに行ったりこっちに行ったりでしたが。

昨日は最高のパフォーマンスを発揮させてくれるLa sportivaさんの展示会へと行って、先日のオーストラリアの報告と新作を見に行ってきました。

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次の春夏シーズン、今までのラインナップは新色になり、イメージがまた変わりました。
私の愛用しているAKASYA やULTRA LAPTERも、カラーが一新されていて、かっこいい!!

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キッズのものもあったり、これ履いてたら子供でもなんか早そう。

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新しいといえばUNIKA。
袋状での作りで、クライミングシューズを作ってきたスポルティバの技術をトレランと融合させた感じ。
凄い全体がフィットして靴と足とのズレがない感じなのかな。

山で走ってみたい!そんなモデル。
パラグライダーパイロットには向かないかもしれないけど…

パラグライダーパイロットに人気のシンセシズはローカットとハイカットもでて、選べる範囲が広がりました!

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ウェアもオシャレかっこよかった。
最近パラグライダーにはクライミングパンツが合う!と実感してます。

夕飯はスポルティバチームで楽しい時間。世界的なスポーツクライマーの渡部桂太君ともいろいろ話ができ、クライマーの競技世界なんかを聞かせてもらいました。

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あの世界も興味深い!!

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posted by Yoshiki at 12:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月25日

毎日毎日泥だらけ

ブログも更新せず、他のSNSも更新せず、何をしているかというと

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あーなんだか農家のようです。
今は毎日毎日土をいじっています。

古民家を再生、そこからのアクティビティガイドツアーを含んだ宿泊。

そういったプロジェクトを進めています

MENEXという会社を起こし、そこから始まっているプロジェクトは南木曽町というところで進んでいます。

なので伊那のエリア開発は父に任せっきり…

パラグライダーをどうやって仕事にしていくか、それも私の大きなテーマ。
インストラクターだけでなくパラグライダーで生きていくという場所を作るには?
そうやって次世代を育てるには?

これはなかなか難しいですが、やらないといけない取り組みです。

伊那のエリアはパラグライダーだけでなく、マウンテンバイクやカヌーなどアクティビティができて、人を育てる。
そして南木曽町では観光客といった人たちにアクティビティを体験してもらう。そんな風にできればいいのですが。

今年のテーマは自分だけでなく人も育てるところを作っていく。

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posted by Yoshiki at 19:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月09日

あけました!おめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
もう2019 年が始まって仕事も始まり日常が始まったのではないでしょうか。

私はというと、帰国してすぐに年末年始。
地元のおじさん達と飲んだり、木曽のどんど焼きに参加してる間に年は開け、3月開業に迫ったMENEXのホテル、ZENAGIの準備の為、祭りが始まってます。

昨日はお世話になっているスポンサー企業さんにご挨拶、全然回れてないですけど。
そして木曽にとんぼ返りで土方作業。

昨年は世界大会、アジア大会、世界記録挑戦、エリア作りといった年始に宣言したことをどうあれ実行。
結果は目標の70%といったとこでしょうか。

それでも次のステップへと進み始めたという感じがしています。

今年は世界選手権、世界記録への再挑戦、伊那エリアの開業、メネックスのホテル開業、新人育成とこれまた祭りの一年になりそうです。

頑張りますので皆様今年も宜しくお願い致します。

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2018年12月20日

チャレンジの終了、そしてメルボルンへ

この2日間、マニラでのフライト。
世界選手権等の大きな大会をやっている実績のあるエリアだけあってそのポテンシャルはかなり高いエリアでした。

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ただ、ちゃんと回収してくれる人がいないと、ヒッチハイクするにも車が通らない。
街がない、人がいない。
そんな場所なので飛ぶときにはしっかりサバイバル用品を持ってないとです。

マニラでのフライトを終え、今回のチャレンジは終了しました。
今回の旅はあまりにも大きなものを失い、そして沢山の事を学びました。

オーストラリアという大地は日本ではわからない[広さ]や自然の厳しさといったものをパラグライダーを通じて目の当たりにしました。

そして自然の美しさも

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我々は日々自然がもたらしてくれる色に
魅せられるそんな旅でした

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日本に帰り、気持ちが整理する時間が自分にあるかは分かりませんが、自分が一つ大きな経験を積み、成長としていけたのだと今は考えています。

今はDubboから長距離バスにのり、途中から電車に乗り換えてメルボルンへと向かう10時間の移動中です。

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結果として日本記録の距離を飛ぶことはできましたが、世界記録を塗り替えるという当初の目的は果たせなかった今回のプロジェクト。
いろいろな意味でリベンジを誓ってDubboをあとにしました
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posted by Yoshiki at 07:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月19日

マニラへ

Dubboから300kmの場所に世界中で有名なパラグライダーエリアの一つマニラガあります。
残りの日程はそこで飛ぶことになりました。

移動は勿論飛んできます。
Dubbo近郊の広い真っ直ぐな道(もうおわかりだと思いますが、そんなとこだらけです)からトーイングによる離陸。

一路北東へ向かっていきます。

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オーストラリアの平地で注意すべきはエアスペース。航空管制区域。
これはインターネットでも簡単に確認できますし、今は大概のgpsで表示できるようになっています。

NAVITERのHYPERはクロスカントリーをメインに考えられた機種なのでその表示が分かりやすい。

街を迂回して飛ぶと、今度は国定保護地区になっている広大な森林が現れます。

真っ平らな土地に広がる広大な森林。
途中で高度がない!なんて目も当てられない。

高度をとって安全地帯を確認しつつ進んでいきます。
雲は続き、雲底から雲底へジャンプするように進むことで森を抜けていきます。

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これはちょっと依頼されていた空飛ぶ埴輪の写真

残念ながらマニラまでは届かずランディングし、チームに拾ってもらって残りは陸路をすすみます。

そして到着したのは日が沈もうとしている時間。

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残り2日ですが、残念ながら予報的にもう記録を作ることはできません。
残り日程はトレーニング、そしてこの場所をしっかり知っておこうと思います。

posted by Yoshiki at 07:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月16日

その後のチャレンジ

数日滞在していたデニリクインを離れることにしました。
我々ができることは空を飛ぶことだけです。

飛べる可能性を検討してDUBBOという町を中心に動くことになりました。

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最後に残ったメンツですが、聖子、シャルの2人は引き続き手続きや、諸々があり、
少しここに残り、メルボルンに移動して帰国の準備をすることになりました。

残ったパイロット3名は残りの日程も飛びきるということを決めたのです。
ガイドでありドライバーのフィルと相談しながら、彼の家のあるDubboへ拠点を移し、
そこからの記録を狙うのが天気的にはいいだろうということになり、そこから600qの移動

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姉ちゃんとはしばらくお別れです。
いろいろ話をしました。彼女が大変なのはこれからですが、なのに私の心配なんかしてくれる姉のような人です。
話した結果、私は飛ぶということで決めたのです。

オーストラリアでは、移動となると基本100q単位での移動。
かといって道が全部いいわけではなく、途中舗装のない道を数十キロ走ったり、
街から離れると次の街までは軽く200qあったりします。

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そして永遠のように続く大地。飽きてしまう景色ですが、油断するとカンガルーが飛び出してきます。
そうやって轢かれてしまったしまったカンガルーが道端にあちこち見られます。
悪い冗談なのか

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こんな看板のレストランがあったり・・・・・・

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突然アーティスティックな肥料棟に出くわしたりします。

そうして到着したDubbo
この3日間、フライトしていますが、コンディションがあまりよくない。
昨日は強風の中飛び出し、時速80q/hで飛ぶのに、突然サーマルにあたらなくなり、
あっという間に降りてしまい、今日は飛ぼうとしたら風がまるで違う方向から吹いてきて
しばらく待つものの、それでも飛べず、場所を変えてフライトしたものの、
全く調子が悪く、しかもグライダーを濡らしてしまうということがあり、空には雲が
あるのですが、もう気分的に悪い、こういう日はどんなに飛べそうでも飛びません。

パラグライダーは本当に精神的なスポーツだと感じます。

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ここでの日程はあと3日となりましたが、距離を延ばすコンディションにはもうなりそうもなく、
残り日程はほかの記録を狙うことにしました。

後3日間記録に挑戦した後20日にメルボルンへ移動、そして21,22日とレンタカーでフライトエリアに行き、
23日にオーストラリアから帰国します。
posted by Yoshiki at 17:35| Comment(0) | 競技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月13日

その日に起きたこと。

ここ数日、ブログを書いてはいませんでした。
書けなかった。
我々は大切な友人を、空から帰ることのない旅へ送り出さないといけなくなってしまいました。

このブログを書くことを彼の妻であり、パートナーであり、彼が最も応援していた
聖子ちゃんの許可を受けています。

今回のチャレンジには私とシャル・カゾ、福岡聖子ナヴィルとピエール・ナヴィル、そして数人のフランス人とオーストラリア人が
参加してスタートした。
シャルと聖子そして私は世界レコードを狙うためのチャレンジ。
そしてそれをサポートしつつ、自身も飛ぶピエールがいた。

私とピエールは聖子ちゃんという存在をなしには語ることができないが、
聖子ちゃんを私は姉として、ピエールは妻として関係を保っているのであるから、
私とピエールは義兄弟のようなもの。
フランスに行った時、そして海外の試合で会った時にはいろいろお世話になった。

彼はフランスをはじめとして世界中のパラグライダー関係者から慕われる存在だった。
いつも何かをつぶやきながら、シャキシャキ仕事をしている忙しそうな存在。
今回のキャンプでも、夕食時や、キャンプの準備、フライトの準備なども、だれよりも
シャキシャキと行動し、おかげで私もフライトが心強いものでした。

そんな彼が、突然いなくなりました。

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その日は離陸時、強めの風で、シャル、聖子が飛び立った後、私の順番。
かなり風は強かったのですが、彼がサポートしてくれ、しかし、トーイングラインの問題
があったりして2回の取りやめ、再びの準備にも彼がシャキシャキと手伝ってくれ、
3回目でフライト。

砂漠のような大地を道を確認しながら私は6時間をフライトしたものの、その先の雨雲に
先を行くことができずに200qのフライト。
しかし、この日いつもと違い、途中では平均で6m/sを超える上昇にも会い、その割に
そのエリアを越えると突然サーマルが弱くなるというような、変動地の高い日でした。

日が強い場所から曇り空が日を隠す空域にて着陸した私は、野生のヤギやカンガルーを眺め、
自分のグライダーをパッキングしながら回収してくれる車を待ちます。
メインロードに降りたのですが、一時間に1台の車が通ったくらいの道。

回収車に乗った後、その車はその20q先にある小さな村へ。
この日はここでキャンプを張ることになりました。

この日はいくつかの問題が起きていて、私のSPOTがなぜが補足できていなかったり、(一緒に別のオーストラリア人
とフライトしていたので、位置は知らせていましたが)フランス人パイロットがやはりSPOT問題で見つかっていなかったり。
そして、ピエールの消息が分からなくなったということで、2台あるうちの1台はフランス人とピエールを捜索していました。

我々はGPSの軌跡をチェックして、ピエールの最後のGPS信号を確認していましたが、突然切れていました。
キャンプを張り終わり、夕食を取りつつ待っていたところに2台目の車が帰ってきたのはもう真っ暗になった夜の10時過ぎ。

ピエールが見つからない。
そういった連絡でした。

最後のGPSpointの高度からして推測される着陸予想範囲は広く、さらに彼の体力や、サバイバル力を考えていくと、
範囲が広く、暗くなってしまったこの時に我々ができることがなく、彼の過去の行動から予測して翌日早朝からの捜索をすることにして
この日は就寝しました。

翌日は朝日が昇ることには出発して、彼が着陸する予測地点から出られる道をひたすら捜索したのですが、見つからず、
同時に警察への捜索要請を行いました。

墜落をしたのかもしれないとどこかで思っていたのですが、その場合の救難信号が出ていないので、その可能性はできるだけ
考えたくなかった。そして、航空機の要請。空からの捜索に切り替わりました。

そこから彼が発見されるまで数時間がかかったと思います。
空から彼のグライダーが発見されたという一報は警察署で待っていた我々にもたらされたのは午後2時をまわったころだった
と思います。

すぐにレスキュー隊が向かいます。
その場所は最後のGPSpointからそれほど離れていない荒野の真ん中でした。

彼は地面に接したときにすでに亡くなっていたということでした。

聖子ちゃんが深い悲しみの中にいる時に、私はできることがなく、
すべてはフライトパートナーのシャルが賢明にやってくれていました。
私は本当に少しだけの手伝いをすることしかできなかった。

少し状況を落ち着いてからいろいろな連絡をしようとしていた聖子ちゃんでしたが、
ニュースの拡散力は光の速さで世界中に流れ、オーストラリアの地方ニュースから出た
この事故は、その日の夜には世界中から彼女のもとに連絡が入ってしまう状況。

しかし、その時にはまだ彼の体は回収されず、移送されたのは更に翌日のこと。
我々は最初のベースであるデニリクインに戻ることになりました。

そこから数日。
彼の話をしたり、聖子ちゃんと話をしたりして過ごしてきました。
私もさすがにフライトをする気にはなれず、話をたくさんしたように思います。

そして数日後、彼のことだからこのままフライトを中止するのは喜ばれない。
そういう話になり、気持ちは切り換えきれないまま空へと上がりました。

そして空に行き、トーイングラインを切り離して1000mの空から最初に思ったのは。
「世界は本当にきれいだな」
ということでした。

更に日数がたち、昨日、全員で、彼が発見された現場へと赴き、
彼との別れを行いました。

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聖子ちゃん、シャルたちはこれから帰国の手続き、その後の処理等で
いろいろ追われてしまうので、明日からは我々と別に行動をすることになっています。
私は、今回の残りの日程を、できるだけ飛ぶことをすることに決めました。

Thank you so much and
See you in the Air Pierre .

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posted by Yoshiki at 07:45| Comment(0) | 競技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月07日

西へ西へ

オーストラリアの北側にあるジェット気流のうねりが、いつもの年とは違うらしく、とにかく乾燥が酷い年になっているみたいです。

2日前の予定では、昨日、今日が記録を狙える可能性があるという予報だったのに、思いの外天気の崩れが早く、天気は良くてもサーマルの高さ、風の強さが全く弱くなってしまいました。
それに加え、予定していた場所近辺は天気が下り坂。

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様々な情報を加味して、思い切って西へ移動することになりました。

昨晩滞在したTottenhamからの大移動。
Tottenham→Nyngan→Cobar→Brokenhillという都市の移動約700km

明日は北風に乗り500km越えを狙うという計画に変更です!
これこそ今回のプロジェクトの醍醐味。
いいとこへ移動して飛ぼう!

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その道のりは、広い、凄いという言葉を何度も言ってしまう程広大なこの大地をひたすら、ただひたすらに進むだけ。

写真の道は80kmカーブがない道。
その前後合わせて200km以上、道以外のものはありません。

明日はここを飛ぶわけです。

道から離れて降りてしまったら…
命に関わります。

今日はそんな何にもない道にポツーンとあるドライブインの隣にキャンプ。

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そこから10kmほどのメインロードから外れたオフロードがテイクオフ場所

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今は夕食をたべ、少し落ち着いたところ。
ちなみにこのドライブインの建物を外れると携帯の電波は届きません。

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posted by Yoshiki at 18:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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