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2016年03月22日

刺激

いろんな方が、訪れてくれることは私にとってとても嬉しく、刺激になります。
心配して見舞いに来てくれる方々に申し訳ないほど、元気で迎えさせていただいています。

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会社のかたがただったり

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幼馴染の親友だったり

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パラグライダーのコンペ仲間だったり

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山や川やお医者さんや、いろんなエキスパートだったり、

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そしてやっぱりただのお馬鹿さんたちだったり・・・・・・。

写真には撮れていない方々もたくさんいますが、顔を見に来てくれるということは本当に嬉しいことです。
そして厳しいことも、やさしい言葉もかけていただき、自分はここからまたスタートを切っていかないとと思うのです。

今回パラグライダー(とはいってもスピードグライダーという別物なんですけど)での事故でしたが、原因も、結果も自分なりに
分析していくことができ始め、だからこそ、空を飛ぶということ自体はもう飛びたいという欲求が出てきています。
ただし、脳へのダメージや身体のダメージからドクターストップがかかっている今は、いろんな人と話をして、
自分のやっていることへもう一つ深く知識や、思いを強くしていくことをやっていこうと思っています。

さて、私は今、飛べないので、この時間を使って、自分が他のフライヤーにできることもあるのではないかと思っています。
この時間を使って自分のできることの一つなんだと今回いろいろと話をしている中で思ってきた一つです。

こんな怪我をしてしまって言うのもなんですが、

やっぱりパラグライダーは楽しい!!

ということは変わりません。
そして、いろんな仲間が国内、国外問わずにできていること。
これは私の財産だと改めて思うのでした。


posted by Yoshiki at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 競技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月15日

復活への序章の更に前

事故から1ヶ月が過ぎていきました。
今日も検査です。
レントゲン、CT、MRIといったもので、何度私の裸どころか、皮も肉もとってしまったあられもない姿を撮影されたことか。
あ、皮肉って皮と肉って書くんだな。

さて、私の現在の状態はというか、今日の診断ですが、顔の骨が大きくひしゃげた状態。
脳の影響が顔の手術に影響があまり及ばないことがわかり、一歩前進。
ただ、ダメージが大きいのには代わりがないということです。
本来なら半年は今の状態で置いておいてから手術ということらしいのですが、
回復の早さ、そして、競技選手であるということを真剣に加味してくれ手術計画を
立ててくれています。

ただ、それでも手術は6月末。
来月にでも手術をしてもらえるかと期待していた私にはがっかりしたのは事実です。
そして手術に必要な骨を腰からもとるために、手術後6週間はトレーニングは禁止だそうです。
その後は、顔の傷の具合と脳の具合を経過観察なのだということです。

思いのほか時間がかかりますが、慌てずに完璧に身体を治すことが、これからの競技に勝つために必要なのだと多くの人の
アドバイスを加味して自分にいい聞かせる毎日です。

人間は10日寝てすごすと筋力が20%も落ちてしまうそうです。
それは十分に体験しました。
なので、それまでにしっかり筋力を作って手術後にすぐに体力を戻せるように、トレーニングは必要。

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まだ外でのトレーニングができないため、家でひたすら自転車こぎと筋力トレーニング。
あとは、視力のトレーニングもかねて外でウォーキング。
KEEN様から新しいシューズが届いたので、それでテンションをあげてのウォーキング

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昨日雪が降ったこの地方。
道路にはもう雪はないのですが、山々は美しい姿になっています。

あとは、私を訪れてくれてる方々と話をすることで、自分のモチベーションを保つことができます。
『自分の身体を十分に理解して、事故以前よりも良い、身体を作る。
時間に追われずに慌てずに』
それは本当に難しい課題です。

おまけ

そういえばお見舞いの品をいろいろいただきますが、

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ルマンド5点セット・・・・・・・・・
うーん、やるなぁ。


posted by Yoshiki at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月10日

経過と目標

前回なんだか後ろ向きなブログになってしまいましたが、
私し、元気です。

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一番恐れていたのは自分の最愛の娘に怖がられやしないかということでした。
正直、意識を取り戻して素直に一番会いたかったのは娘。

あった最初は戸惑った様子でしたが、

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あとはまねっこでした。
ふぅ。

さて、現状ですが、私は実家に戻っています。
長野県の伊那というところです。
こちらの総合病院にお世話になっていますが、
「今できることはないから通院ね」と医者からあっさり通達。
「でも脳のダメージはあるから遠出とか激しい運動はしないように!!」との宣告。

静岡の病院でも、意識を取り戻して3日後には車椅子、4日目には歩行器で歩き、5日目には普通に歩いていたので、
医者からは驚きとともにあきれられる始末。
当初2ヶ月以上の入院とされていたものが、あっさり3週間で病院を出されたのでした。

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退院までの間、毎日リハビリの先生と共にリハビリを行っていましたが、
リハビリって「もっとがんばって!あと少し!!」とか言うものかと思ってたのですが、
「呉本さん、ここはリハビリです。通常生活に戻すのが目的ですからね、ジムじゃないんだからそんなにガツガツやらない!」
と言われる始末。
実家に帰ってからも身体は元気なので、家の中で毎日自転車漕いでます。

ただ、現状の症状として前回もお伝えしたとおりの左目。
そのせいでまだ屋外に長く居たり画面を長く見ていたりすると異常に疲れます。
ま、慣れていくしかないのですが。
ただ、その目も思いのほか回復が良いらしく、0.1まで見えるようになれば言いといわれていたのが、現在0.3。
そして、もう少し良くなるだろうということ。ただ、今は衝撃で白内障になっているので、すりガラスごしに見ているような
ものです。この経過はもう少し時間をかけてみていくとのこと。

うーん、目も使わずに頭を使う方法・・・・。
ということで

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楽器を始めました。
というか、昔昔15年やっていた楽器を復活したのですが、なかなか思うように指が動かないものです。

実家に帰ってからもお見舞いに訪れてくれている方々、本当にありがとうございます。
そう、思ったより元気なんです。
で、昨日は泊まりで友人が遊びに来てくれました。
話した話した。
人とこんなにも長く話をした時間を持つということがここ数年なかったような気さえしました。
彼は私を連れ出してくれ、久々に山を歩くことができました。

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長野の自然には癒されます・・・・が今日は寒の戻り、寒かった・・・・。

さて、私の状態、この先はまだ検査が続いて顔の手術計画が決まるということですが・・・・・。
まだ予定が立たない模様。
次の火曜日には決まるのだろうか・・・・。

手術後は数週間の入院がまた必要ということ。
筋肉が落ちてしまうのが心配。
今できるトレーニングを続けるしかないです。

早く外を走れるようになればいいのですが・・・・。

posted by Yoshiki at 19:19| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月04日

今の気持ちをそのままに

本来なら今ごろ和歌山県に向かっている予定でした。
今週末は、今年最初の国内戦です。

本日は脳外科の検査でした。
心配されていた脳出血の拡大はなく、脳外科的にはしばらくの経過を見ていく。
ということでした。
しかし、左脳後ろにある脳出血および脳のダメージは広がりを見せる心配はなくなったものの、
身体のように回復するものではないということです。
そのダメージの代償は、左目の視力の低下および、視界の範囲が狭くなったということ、
そして、それによって遠近感がまだ上手くつかめていません。

事故から約1ヶ月がたとうとしています。
時間の経過は正直、短いんだか長いんだかわからなくなっていますが、検査さえも終わっていない、
そして今後の治療計画がまだ立っていないことに若干の苛立ちと、自分のこの状況を整理し切れていない自分にいらだちます。

そう、多くの方に言っていただいていますように時間をかけるしかない、あせるな、あわてるな。
それは自分でもわかっていますし、そう自分に言い聞かせ、今できることは何かを探し準備をすることで自分を保っています。

さて、今日のブログは弱気な私をさらけ出すことにあります。
そして、それを出し切って、先に進むことにします。
私は運がいいことに生き残っていますし、回復もできるはずです。
勿論、回復しない機能もあります。でもそれは慣れていくしかない。そして、他の機能で補っていくしかないのです。

絶望しているわけではありません。私は今回のことを、自分の責任で起こした事故を誰のせいにすることもできませんし、
そこには確かに前を向きすぎてこけそうな自分がこけてしまったのだということは認識しています。
それよりも怖かったのは、今こうして考えること、思うこともできずに命を失う可能性があったこと。
手や足に障害が残ることもあったこと。それを半日ごとに思い出すこと。

昨年は、フライヤーの友人が半身不随になり、プロのライダーの友人を一人亡くしました。
申し訳ない。私はそれよりはマシだと思ってしまうのです。

今にして思えば意識が戻ってからの数日、明らかな幻覚を見てすごしましたが、それ以外の出来事もどこまでが
現実だったのか、わからないと思うことがあります。

そしてそれを思うたびに自分は生かされた時間をどうしていこうかと考えるのです。
そう、私はやはり空を飛ぶこと、世界を見ることそしてそれを多くの人に伝えることをしたいと考えるのです。
その為の充電期間。
今何ができるか。

室内の自転車トレーニングの道具はそろいました。
スペイン語の勉強も始めました。
昔やっていた楽器を再び始めました。
まずはここからはじめようと思います。

ようやく通常の生活ができるようになって来ましたが、
車で出かけると(勿論私が運転はまだできませんが)半日でくたくたになってしまいます。
それでもがんばって一日外で出かけてみてもらったりもしましたが、
そうすると、もろに疲れが出ます。
まだ左右の視力の差に脳がフル回転して正し続けているようで、スペックの高い操作をパソコンに
要求し続けているような状態です。
当然電気も使い続けるし、熱も持ってしまう。途中で休憩を入れないといけないのですが、その加減がわからない状態。

先にも書きましたが、もう一ヶ月たつのにこの状態です。
まだ一ヶ月とか言われもしますが、毎日動き続けた私には、この状態は自分を不安にさせます。
ここでどっしりできるのが大物だとしたら、私にはまだその許容がないのでしょう。

ただ、何も見失っていないのは何度も書いている通りです。
そして、静岡の病院の時からわざわざ見舞いに来てくれた家族。三浦さん、山岸さん、花谷さん一家、廣川夫婦、スカイ朝霧の方々、
若山さん、谷原、真希子ちゃん、宮原さん、ヤギ夫婦、KEEN久保さんなどなど、多くの方が顔を見に来てくれて本当にありがとうございました。話をするということが、大きな励みになります。
そして、これないけれどメッセージをくれた多くの方もありがとうございます。
感謝の気持ちで一杯になります。

私は、しばらくは信州から離れられそうもありませんので、近くに来ることがあれば、今のこのひどい顔を見に来てやってください。
期間限定ですぞ!形成の先生は元の顔に戻してやると張り切っていますので。

さて、明日からも自分ができることをやって、遠回りになってしまったかもしれないけれど確実に前進していきます。
posted by Yoshiki at 23:44| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月02日

感謝だけでは足りない


救助に来てくれた方、緊急処置をしてくれたドクターヘリのドクター、緊急手術を行ってくれた先生方。
命を救っていただき本当にありがとうございました。

そして本当に日本は勿論世界中の友人達からのメッセージ、そしてわざわざお見舞いに来てくれた方々。
ありがとうございました。

今、私は元気です。

状況としては、首から下はかすり傷以外の外傷はほとんどありません。しかし、顔面の骨折、そして、脳挫傷
左目のダメージ、そして鼻がなくなってしまうくらいのダメージを受けました。その為、緊急入院してから10日間
眠らされた状態でした。先生達の的確な処置により、機能は低下したものの、鼻も目もつぶれることがなかった、
そして生きていたことが奇跡のような状態にもかかわらず、更に体のダメージがないという幸運に恵まれました。
もう、宝くじが当たることがないですね。

さて、では何があったのか、これは聞いた状況を簡単にまとめたものになります。
なぜなら、その日、白馬でスキーパラ(非常に小さなパラグライダーで、飛ぶことを目的に作られていない新しいスポーツ)
をしに行く予定が、天候が悪く、それなら朝霧高原でトレーニングをして山を登ってそのグライダーで飛ぼうと向かったところは
覚えていますが、それ以降の記憶がありません。
次にある記憶は、目が覚めて、知らない天井が見えたところだったのですから。

その日、私は朝霧高原で、山を登ろうと、早朝に出かけていたはずです、そして、数本飛んでは登るを繰り返して、実家に帰る
予定だったはずです。そしてその予定通り、山を登り、飛んだのだのです。しかし、グライダーが小さすぎるものでした。
それでも普通に飛べばよかったんでしょうが、回転をしようとしたようです。そして、高度がないまま滑空比のないグライダーは
上昇しきれずに山へと突っ込んだということです。
簡単にまとめるとそういうことになります。
それから多くの方々が救助に来てくれ、重い私をかわるがわる山から下ろしてくれたそうです。

自分の判断ミスとおごりが今回の事故の原因です。
あとはあせりでしょうか。

X-ピレネーの参加が決まったところであったのににもかかわらず、自分の準備が思いのほか上手く言っていなかったことに
焦りがあったのもたしかです。

どんな条件でも飛べなくてはいけない技術力、最終的に飛ぶか飛ばないかの判断力、そして体力、自分に関しての能力、
そして、遠征費や滞在費、情報収集費などなど、必要なものはいくらでもあるのに時間がないことに圧迫感を感じていたんでしょう。
あせっても仕方ないのに、今ならそう思えますが。

とにかく、私が目を覚ましたのはそれから10日もしてからです。
目を覚ました時にはなぜ自分がここで寝ているのか、頭もぼぅっとしていて、混乱もして、最初に話したドクターには「ここは日本ですか?」
と聞いていました。

それからは数日様々な不思議な体験をしたつらい数日でした。
自分が死んでしまうのかもしれないと思ったのはその日でした。(実際にはその危機はとっくに過ぎていたらしいのですが)
強い薬で症状を抑えていたので、幻覚を見ることもしょっちゅうで、ただし、これは幻覚だな、とわかるもの、
今思うと幻覚だったのか、本当だったのかわからないこともありましたし、寝かされていた日数が長かったために筋肉は
20%以上も落ちてしまい、目が覚めてからの3日間は、寝ることもできず、歩くこともできず、痛さとつらさで、気が滅入りました。

この時の話は、本にできるんじゃないかというくらいの体験でした。
※その話はまた機会があれば・・・・。

目を覚ますと、しばらくして左目がほとんど見えていないことに気がつきました。
鼻も詰まります。 パニックにはなりませんでしたが、混乱します。
そして自分が事故を起こしたことにもう一度たどり着き、機能が低下しただけでなくなっていないことに感謝するということの
繰り返しでした。
正直にいうと、目が覚めた日は本当に辛かった。
タイムパラドクスがおかしく、時間の整理がつかない。
幻覚だとわかるものの、見えないものがみえたりする。
おまけに辛い。(身体も精神も)このまま死んでしまうのではないか、そのほうが楽かもというところまで自分が少しでも
思ってしまったことが自分でも驚きでした。
周りではなくなっていくお爺さんなんかもいますし、とにかく、感覚が妙に冴えていたり、するので臭いも会話もなんでも認識はできてしまうのに、時間だけがゆっくり流れていくのです。私にとってこれは本当に辛い時間でした。

あぁ、この話をしはじめるとつきなくなってしまうので、この辺で。
とにかく緊急病棟から出たいというのがそれからの目標でした。意識を取り戻した次の日には身体を起こすことに成功、というか、普段普通にやっている普通の動作がここまでしんどいことだとは思っていませんでした。
3日目には車椅子で移動して少し歩くこともでき、4日目には歩行器で歩くことができました。
当初からの経過を見ている担当医も驚く回復力ではあったようですが自分としては毎日動いていたからだが思うように動かない
もどかしさで一杯だったのです。
5日目にようやく一般病棟に移され、その頃から家族や、自分のチームの人間がお見舞いに来てくれ、おかげで少しだけ救われた気分でした。

さて、現在、脳の損傷を検査して、その後、顔の手術をすることになっています。
パラグライダーの復帰には半年はかかりそうですが、身体を作ったり、知識をためたりといったスキルアップの時間は
とれます。必ず復活してきます。そして、その様子を今後のブログではお伝えしていきます。

今回の続きは次pブログで。



posted by Yoshiki at 21:34| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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