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2018年12月13日

その日に起きたこと。

ここ数日、ブログを書いてはいませんでした。
書けなかった。
我々は大切な友人を、空から帰ることのない旅へ送り出さないといけなくなってしまいました。

このブログを書くことを彼の妻であり、パートナーであり、彼が最も応援していた
聖子ちゃんの許可を受けています。

今回のチャレンジには私とシャル・カゾ、福岡聖子ナヴィルとピエール・ナヴィル、そして数人のフランス人とオーストラリア人が
参加してスタートした。
シャルと聖子そして私は世界レコードを狙うためのチャレンジ。
そしてそれをサポートしつつ、自身も飛ぶピエールがいた。

私とピエールは聖子ちゃんという存在をなしには語ることができないが、
聖子ちゃんを私は姉として、ピエールは妻として関係を保っているのであるから、
私とピエールは義兄弟のようなもの。
フランスに行った時、そして海外の試合で会った時にはいろいろお世話になった。

彼はフランスをはじめとして世界中のパラグライダー関係者から慕われる存在だった。
いつも何かをつぶやきながら、シャキシャキ仕事をしている忙しそうな存在。
今回のキャンプでも、夕食時や、キャンプの準備、フライトの準備なども、だれよりも
シャキシャキと行動し、おかげで私もフライトが心強いものでした。

そんな彼が、突然いなくなりました。

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その日は離陸時、強めの風で、シャル、聖子が飛び立った後、私の順番。
かなり風は強かったのですが、彼がサポートしてくれ、しかし、トーイングラインの問題
があったりして2回の取りやめ、再びの準備にも彼がシャキシャキと手伝ってくれ、
3回目でフライト。

砂漠のような大地を道を確認しながら私は6時間をフライトしたものの、その先の雨雲に
先を行くことができずに200qのフライト。
しかし、この日いつもと違い、途中では平均で6m/sを超える上昇にも会い、その割に
そのエリアを越えると突然サーマルが弱くなるというような、変動地の高い日でした。

日が強い場所から曇り空が日を隠す空域にて着陸した私は、野生のヤギやカンガルーを眺め、
自分のグライダーをパッキングしながら回収してくれる車を待ちます。
メインロードに降りたのですが、一時間に1台の車が通ったくらいの道。

回収車に乗った後、その車はその20q先にある小さな村へ。
この日はここでキャンプを張ることになりました。

この日はいくつかの問題が起きていて、私のSPOTがなぜが補足できていなかったり、(一緒に別のオーストラリア人
とフライトしていたので、位置は知らせていましたが)フランス人パイロットがやはりSPOT問題で見つかっていなかったり。
そして、ピエールの消息が分からなくなったということで、2台あるうちの1台はフランス人とピエールを捜索していました。

我々はGPSの軌跡をチェックして、ピエールの最後のGPS信号を確認していましたが、突然切れていました。
キャンプを張り終わり、夕食を取りつつ待っていたところに2台目の車が帰ってきたのはもう真っ暗になった夜の10時過ぎ。

ピエールが見つからない。
そういった連絡でした。

最後のGPSpointの高度からして推測される着陸予想範囲は広く、さらに彼の体力や、サバイバル力を考えていくと、
範囲が広く、暗くなってしまったこの時に我々ができることがなく、彼の過去の行動から予測して翌日早朝からの捜索をすることにして
この日は就寝しました。

翌日は朝日が昇ることには出発して、彼が着陸する予測地点から出られる道をひたすら捜索したのですが、見つからず、
同時に警察への捜索要請を行いました。

墜落をしたのかもしれないとどこかで思っていたのですが、その場合の救難信号が出ていないので、その可能性はできるだけ
考えたくなかった。そして、航空機の要請。空からの捜索に切り替わりました。

そこから彼が発見されるまで数時間がかかったと思います。
空から彼のグライダーが発見されたという一報は警察署で待っていた我々にもたらされたのは午後2時をまわったころだった
と思います。

すぐにレスキュー隊が向かいます。
その場所は最後のGPSpointからそれほど離れていない荒野の真ん中でした。

彼は地面に接したときにすでに亡くなっていたということでした。

聖子ちゃんが深い悲しみの中にいる時に、私はできることがなく、
すべてはフライトパートナーのシャルが賢明にやってくれていました。
私は本当に少しだけの手伝いをすることしかできなかった。

少し状況を落ち着いてからいろいろな連絡をしようとしていた聖子ちゃんでしたが、
ニュースの拡散力は光の速さで世界中に流れ、オーストラリアの地方ニュースから出た
この事故は、その日の夜には世界中から彼女のもとに連絡が入ってしまう状況。

しかし、その時にはまだ彼の体は回収されず、移送されたのは更に翌日のこと。
我々は最初のベースであるデニリクインに戻ることになりました。

そこから数日。
彼の話をしたり、聖子ちゃんと話をしたりして過ごしてきました。
私もさすがにフライトをする気にはなれず、話をたくさんしたように思います。

そして数日後、彼のことだからこのままフライトを中止するのは喜ばれない。
そういう話になり、気持ちは切り換えきれないまま空へと上がりました。

そして空に行き、トーイングラインを切り離して1000mの空から最初に思ったのは。
「世界は本当にきれいだな」
ということでした。

更に日数がたち、昨日、全員で、彼が発見された現場へと赴き、
彼との別れを行いました。

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聖子ちゃん、シャルたちはこれから帰国の手続き、その後の処理等で
いろいろ追われてしまうので、明日からは我々と別に行動をすることになっています。
私は、今回の残りの日程を、できるだけ飛ぶことをすることに決めました。

Thank you so much and
See you in the Air Pierre .

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posted by Yoshiki at 07:45| Comment(0) | 競技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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